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【可幸月貝作品集】

「吟遊音楽詩人」可幸月貝が過去にとあるミニコミ誌上に発表した短編小説、および評論の中から評価の高い作品をここに再録する。


目次
・赤い雨(1993月7日)
・黒春(1993年5月)





赤い雨
(1993年7月)

‥‥‥眠れない。別に今すぐ眠らなくともよいのに。
何らかの力が、目を閉じ続けなければならないと僕に思いこませている。
頭の中では、様々な映像が現れては消える。その映像は僕をひどく緊張させた。
背中、そして手に僕はひどい汗をかいていた。肩には冷たい鉄の固まりをはめられたようなズッシリとした重みがあった。

‥‥‥それからどれ程の時が経過したのだろう。僕は雲ひとつない青空に見つめられ、ただ一本の白いまっすぐな道を歩いていた。
ほどよい風が頬に当たる。前方に浮かぶ太陽は何ものにも遮られず、思う存分の光を放っていた。僕は思いついた楽しい唄を次々と口ずさんだり、口笛を吹いたりして歩いた。時の流れが僕にとてもやさしかった。
ふと気がつくと、僕の目の前に一人の女の子(といっても多分17、18位だと思うけれど‥‥‥)が立っていた。彼女は僕が話しかけようとする前に口を開いた。
「空の青に赤の色を混ぜたいの。」
彼女は赤のペンキのような液体を両手ですくい、空に投げてみたり、「わかった!」と叫んだかと思うと、そのペンキの入った容器を天に掲げ、
「こうすれば自然と蒸発して、赤が空に溶けるわ。」
と僕にニコニコと微笑みかけてみせたりした。でも僕にはわかっていた。そんなことしたって無駄なのだ。
「駄目、駄目。全然駄目だよ。」
かといって僕が空に赤色を混ぜる術を知っているわけではなかった。ただ駄目ということだけがわかったのだ。
目の前で泣き崩れる彼女。僕は一刻も早く、この場を離れたい衝動にかられ、彼女を横目でちらっと見て、何も告げずにまた歩きはじめた。
しかし彼女の姿は、一向に僕の頭の中から離れようとはしなかった。一度だけ僕に見せた笑顔。一生懸命天を仰ぐその白い手。僕は何度その道を引き返そうと思ったことだろう。でも、それは出来ないのだ。僕は空に赤の色を溶かす方法を知らないのだから。
歩幅を縮めつつ、でも確実に僕は前へ前へと進んで行った。
とその時、僕は何かあるひとつのひらめきのようなものを感じた。しかし、それはまだ僕の頭の中に具体的な姿を現してはいなかった。でも僕はひらめいたのだ。
僕は全力で今まで来た道を走った。彼女はまだあそこにいるだろうか。早く行かなければ‥‥‥。まわりの風景は誰かの抽象画のように歪んだ姿をもって次々と流れて行った。
だが僕の不安とうらはらに、彼女はさっきと全く同じ場所にいた。泣き顔を両手で覆い、そこにうずくまっていた。
「わかったよ。」
僕の声で彼女は両手を顔から離した。そして僕がどれ程待ち焦がれていたか知らない、そのいつかの笑顔で僕を見上げた。
「わかったんだよ。」
気がつくと僕は右手にナイフを握り、それを幾度となく彼女の胸に突き刺していた。
‥‥‥5回、‥‥‥6回、‥‥‥7回。
僕は彼女の笑顔に応えて自然と微笑んでいた。「答え」がわかった喜びであろうか。いつの間にか自分が恋慕っている彼女との再会に対する喜びであろうか。僕は右手のナイフの往復運動をただただ繰り返していた。
‥‥‥彼女の白い衣服は鮮血の赤に染まり、その赤は天へと昇って行く。
「ほらね。」
僕は空高く舞い上がる彼女の赤い液体をながめていた。
「今に空の青と君の赤が溶け合うんだ。」
僕はうれしくて仕方がなかった。笑い声を抑えるのも必死だった。
だがその時、突然の暗雲が一斉にそらを覆った。まさに空へ届こうとしていた彼女の鮮血は、そのまま雲へと吸い込まれてしまった。
‥‥‥僕の失望は相当なものだった。僕は肩をがっくりと落とし、彼女の方へ目をやった。そこにはさっきの笑顔も消え失せ、動かなくなった彼女の姿があった。そしてその時僕は、初めて彼女の喪失に気づいたのだ。
僕は呆然とし、為す術のないまま、ただそこに立っていた。空は真っ黒となり、雷と共に光を放っていた。僕はあまりの出来事にいつの間にか雨が降り出していることに気づかないでいた。頬に冷たいものが伝う。僕は、はっと我に返り天を仰いだ。
「雨だ!赤い雨だ!」
僕は両手をいっぱいに広げ、全身に彼女の血を浴びた。目を閉じると、たった2度しか見たことのない彼女の笑顔が眼前に蘇る。僕は初めて彼女と一体になれた喜びで、いつまでも、いつまでもその赤い雨を受け止めていた。
「わかった。やっとわかったよ。僕が空になろう。それだ、それでいいんだ。」
僕は両手をいっぱいに伸ばして、ただひたすら天へと羽ばたいた。僕の歓喜の声は辺りの山々に響き、いつまでも鳴り止まないでいた。





黒春
(1993年5月)
15の僕らは愛情という名の美しいメロディーを態度や言葉の音符で五線上に表すにはまだ若すぎた。若さ故の純粋、困惑。
幻想的ですらあるその時代は以後、僕の心の奥底を支配した。
僕らはお互いの気持ちをたったの3秒間で確認しようとしていたのかもしれない。僕らは普段顔を合わせても言葉を交わすことはほとんどなかった。とてもあふれる気持ちを言葉に置き換えることなど出来なかったのである。
帰り道、僕らは決まって同じ列車に乗った。彼女は僕の立つ隣の車両で、僕という存在など全く意に介さないかの様子で外の流れゆく景色にその大きな瞳を向けていた。
長い沈黙。夜が僕の期待と絶望をのせて走って行く。
目を閉じるとある時は彼女の微笑みが、またある時は暗黒の空が落ち、僕を押しつぶす映像が映し出される。
降りしきる星たち。僕が手を伸ばすと、その一粒が掌の上で少しずつ、本当に少しずつ溶けて行く。星の粒子は僕の目の前でぱっと広がり、天へと昇っていった。僕は、夜空がほんのり明るいのは月光のせいなんかじゃない、溶けた星々の光が空に再び帰って行くからなのだ、そう理解し、目を開いた。
僕の降りる駅が近づいた。彼女はその隣の駅まで行く。
開くドア。僕はゆっくりとホームに足を降ろした。高鳴る鼓動。夜風が頬を刺した。
動き出す列車。
僕は徐々に加速する列車に彼女の視線を感じた。口許の笑みとはうらはらに瞳にはどこか寂しさが漂っていた。
そして僕に向けて振られる白い手。制止する時間。僕の目の前がぱっと明るくなった。幸福の瞬間。唯一ふたりが思いを通わせる一瞬。
しかし、彼女へ返すべき微笑みは、僕の口許には浮かばなかった。幸福に踊る気持ちとはうらはらに、僕の顔はどんどん硬直していった。
‥‥‥‥‥‥僕は彼女から視線を外し、うつむいたまま階段を昇っていった。
列車はつかの間の幸福を運び去り、僕のもとには再び不安だけが残った。いっそ自分を地面に叩きつけ、心というものをぶちまけることが出来たなら、どんなに幸せだったことだろう。
‥‥‥‥‥‥空がまた落ちてきた。




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