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「吟遊音楽詩人」可幸月貝が過去にとあるミニコミ誌上に発表した短編小説、および評論の中から評価の高い作品をここに再録する。
‥‥‥眠れない。別に今すぐ眠らなくともよいのに。 ほどよい風が頬に当たる。前方に浮かぶ太陽は何ものにも遮られず、思う存分の光を放っていた。僕は思いついた楽しい唄を次々と口ずさんだり、口笛を吹いたりして歩いた。時の流れが僕にとてもやさしかった。 ふと気がつくと、僕の目の前に一人の女の子(といっても多分17、18位だと思うけれど‥‥‥)が立っていた。彼女は僕が話しかけようとする前に口を開いた。 「空の青に赤の色を混ぜたいの。」 彼女は赤のペンキのような液体を両手ですくい、空に投げてみたり、「わかった!」と叫んだかと思うと、そのペンキの入った容器を天に掲げ、 「こうすれば自然と蒸発して、赤が空に溶けるわ。」 と僕にニコニコと微笑みかけてみせたりした。でも僕にはわかっていた。そんなことしたって無駄なのだ。 「駄目、駄目。全然駄目だよ。」 かといって僕が空に赤色を混ぜる術を知っているわけではなかった。ただ駄目ということだけがわかったのだ。 目の前で泣き崩れる彼女。僕は一刻も早く、この場を離れたい衝動にかられ、彼女を横目でちらっと見て、何も告げずにまた歩きはじめた。 歩幅を縮めつつ、でも確実に僕は前へ前へと進んで行った。 僕は全力で今まで来た道を走った。彼女はまだあそこにいるだろうか。早く行かなければ‥‥‥。まわりの風景は誰かの抽象画のように歪んだ姿をもって次々と流れて行った。 だが僕の不安とうらはらに、彼女はさっきと全く同じ場所にいた。泣き顔を両手で覆い、そこにうずくまっていた。 「わかったよ。」 僕の声で彼女は両手を顔から離した。そして僕がどれ程待ち焦がれていたか知らない、そのいつかの笑顔で僕を見上げた。 「わかったんだよ。」 気がつくと僕は右手にナイフを握り、それを幾度となく彼女の胸に突き刺していた。 ‥‥‥5回、‥‥‥6回、‥‥‥7回。 僕は彼女の笑顔に応えて自然と微笑んでいた。「答え」がわかった喜びであろうか。いつの間にか自分が恋慕っている彼女との再会に対する喜びであろうか。僕は右手のナイフの往復運動をただただ繰り返していた。 ‥‥‥彼女の白い衣服は鮮血の赤に染まり、その赤は天へと昇って行く。 「ほらね。」 僕は空高く舞い上がる彼女の赤い液体をながめていた。 「今に空の青と君の赤が溶け合うんだ。」 僕はうれしくて仕方がなかった。笑い声を抑えるのも必死だった。 ‥‥‥僕の失望は相当なものだった。僕は肩をがっくりと落とし、彼女の方へ目をやった。そこにはさっきの笑顔も消え失せ、動かなくなった彼女の姿があった。そしてその時僕は、初めて彼女の喪失に気づいたのだ。 僕は呆然とし、為す術のないまま、ただそこに立っていた。空は真っ黒となり、雷と共に光を放っていた。僕はあまりの出来事にいつの間にか雨が降り出していることに気づかないでいた。頬に冷たいものが伝う。僕は、はっと我に返り天を仰いだ。 「雨だ!赤い雨だ!」 僕は両手をいっぱいに広げ、全身に彼女の血を浴びた。目を閉じると、たった2度しか見たことのない彼女の笑顔が眼前に蘇る。僕は初めて彼女と一体になれた喜びで、いつまでも、いつまでもその赤い雨を受け止めていた。 「わかった。やっとわかったよ。僕が空になろう。それだ、それでいいんだ。」 僕は両手をいっぱいに伸ばして、ただひたすら天へと羽ばたいた。僕の歓喜の声は辺りの山々に響き、いつまでも鳴り止まないでいた。
‥‥‥‥‥‥空がまた落ちてきた。
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