ブラン クロスレビュー
Syd Barrett / The Madcap Laughs
(HARVEST SHVL 765/日 TOCP-3430)





「あれからシドは母ちゃんと一緒にテレビを見て暮らしている」
嘘かホントか知らないが、学生時代にこの話を友人から聞かされて以来、私がシドを思う時、決まってその映像が浮かんでくる。
何だかあったかで穏やかそうだ。詰まるところ、音楽なんかで自分を突き詰めてもろくなことがないってことなんだろうな。

最近シドの母親が亡くなり、シド自身も糖尿病で精神的にも肉体的にもかなりヤバい状態だということを知った。音楽界から姿を消してもう20年以上も経つ人物であるのに、このいても立ってもいられない気持ちは何なんだろう。別に新しい音源など期待してはいないのだけれど、あなたにはそこにいてほしい。

それがファンの戯言だってこともわかっている。ロジャーが何かのインタビューでフロイドの歴史を振り返った際に
「ロックの歴史においてヤツは必要なのかもしれないが我々には他人が云う ほどの重要性はなかった」
というようなことを云っていた。もちろんシドがフロイドの創設者でありバンドの全ての曲を書いていたということを前提にであるが、ある時期からシドはフロイドにとってとてつもないお荷物になってしまったんだろう。だからクビにした。そしてバンドは何十年も生きながらえた。・・・それが正しかったかはさておき。

我々は音楽や文学や絵画に常人には見えない世界を求め、感動を得る。シドが 狂気のフロイドであるならロジャーは理性のフロイド・・・自分に見えない世界を見ることのできる人物がメンバーにいたということはロジャーにとって嫉妬の対象であり脅威であったことだろう。たったの2枚しかないソロアルバムを聴く限りではあるが、シドの音楽に向かう姿勢はとても自然体とでも云おうか、簡単にスーッと唄が出てきた、そんな感じを受ける。
一方ロジャーがフロイドで作り上げた音楽は試行錯誤を経て内面から絞り出した、もしくはひとつひとつ構築して行ったという印象がある。クビにはしたもののロジャーにとってフロイドの歴史とは、ほとんど勝ち目のないシドとの戦いであったはずだ。だからこそ彼はもがき苦しんで、その結果優れた作品を残すことが出来たと云って良いかもしれない。

今だ現存するバンドである。その歴史をきちんと総括されることはまだ少ないし、それでも最近では、1stのフロイドは別物であると語る向きもあったりする。数年前に出たフロイドBOXではシド在籍時の1stだけが省かれていたし・・・。
ロジャーはついに戦いに勝ったのだろうか。そしてフロイドの看板を捨てた彼は楽になったのだろうか。

「The Madcap Laughs」は'70年1月に発表されたシドの1stアルバムである。
お薬による精神破綻の末、バンドを追い出されたのが'68年3月。その2ヶ月後には既にこのアルバムに向けてデモ製作を開始していたそうだ。フロイド脱退直後やこのアルバムの発表当時のシドの発言を読む限り、失望や混乱など微塵も感じられず、新しい音楽活動への希望や自信など前向きな発言ばかりであることに驚く。失望や混乱などしている暇などないほどシドの心は音楽へと向かっていたのだと思う。それともただ単におかしくなっていただけなのかもしれないが・・・。
その10ヶ月後には2nd「Barrett」を発表、'72年にはバンドを結成し数回のライブをこなしている。
だがしかし、そこでシドの音楽活動は途絶えてしまう。

確かにシドのドラッグ依存は重大で、それ故の結果であることは間違いない。だが一方でシドをそこに居させまいとする働きがあったのではないか疑う自分もいる。
音楽とは極個人的なところから発せられるものである。たがそれを完成形として提示するためには複数の他者を介し共に作り上げていくという課程を経ることが多い。それが良い化学反応をもたらすこともあれば、人間関係の摩擦を引き起こすこともある。
狂気のバンマスに「いち抜けた。に抜けた」・・・そしてシドが残った。そんな想像をするのは私だけだろうか。
このアルバムを発表した当時シドは音楽業界について聞かれこう答えている。
「ここは美しいところだよ。僕はもうどこへも行きたいとは思わないね」
フロイド時代の空間を音で塗る「ペインテッド・サウンド」とはうって変わり、ここでの音世界は極めてシンプルなものであり、シドのギターと唄に簡単なバンドサウンドが絡むといった趣。
その音像はムンクの作品のように不安に美しく歪んでいる。ボーっとしていると心の中に入り込んでどこかへ持って行かれてしまう。

この文章を書くために酒を片手に数時間このアルバムに私は向かい合った。こんなにゆっくり聴くのは久しぶりである。酒が次々と進み、何度も何度もこのアルバムを繰り返した。気が付くと目を閉じていたが眠っているわけではなかった。シドの音楽が右へ左へとグラグラ揺れる。目を開けると間違いなくいつもの部屋であるのだけれど、何だかふわふわした不思議な場所だった。単に酔っているだけなのだろうか。それにしては気持ちよい。私はそのまま身を任せた。
・・・いつの間にか眠ってしまったんだろうか。夢の中では、シドの聴いたこともないような曲がいつまでもいつまでも鳴っていた。

そんな風にして朝目覚めた。いつもの朝だった。私は一体シドにどこに連れて行かれたんだろうか。

・・・・客観的批評など無理です。

最後に。
今回のリイシューで収録されたボーナストラック、3タイトルで全19曲。収録曲のデモバージョンやレコーディングのアウトテイクであるで未発表曲は無し。
コレ目当てですべのアルバムを買い直しておいて何だが、いくらCDが74分入るっていったって、こう何でもかんでもボーナストラックとして収録するのはどうなんかなという気もする。確かにシドの作曲風景の秘密をかいま見れてワクワクするのは確かではあるが、何だかこれって墓暴きじゃねぇのかなぁって気もしないわけではない。シドに「コレ入れますよ」って許可など取ってないだろうし。
それにアルバムとは飽くまで十数曲で完結する作品なわけで、一度完結したあとにすかさずおまけの音楽が流れ出すってのは、アルバムの感動を薄めてしまうことになりかねないんじゃなかろうか。

でもそんなおまけがうれしかったりもして、矛盾しているわけですが。
せめてCDシングルで別個おまけを付けてくれるとか気を使ってみてもいいんじゃなかろうか。
コストが割高になるからレコード会社は嫌がるんだろうけど、価格が1.5倍でも買う人は買いますぜ。
でもなぁ、本来買うべきはずじゃない人も買ってこそ儲かるのが音楽業界なんだろな。
やっぱわがままか。

98.8.17.(アダ)


あまりにも好きだったため、聴けなくなっていたらイヤだなぁ、と思いつつ、ずいぶんと久しぶりに聴いてみたら、何にも変わっていなかった(しかし、涙なくしては聴けん)。
“Terrapin”のうんざりして瞼が重くなる様な気持ちよさも、“No Good Trying ”の1つ1つ関節がはずされていく様なかっこよさも、その印象は全く変わっていない。別に詭弁を弄している訳ではない。実際そんな感じなのである。

僕はPINK FLOYD(以下FLOYDと略)の1st.よりもSYDのソロを先に聴いてしまったた めか、FLOYD自体は嫌いじゃないけどそんなに好きでもない。確かにどちらもSYDの作品であり、独特の歌詞、特に言葉と言葉のつなぎ方や、それに付随したフレージング、コンポジション等に関しては、どちらにも共通した要素が見られるが(蛇足だが、こと歌詞に関しては日本のハードコアパンクバンド「あぶらだこ」に近い感触を憶える)、それでも決定的に違うものがある。
それはFLOYDはバンドサウンドで、ソロの方はアコースティック中心の音作りだ とか、そんな表面的なことではなく、ソロアルバムにおけるSYDは空っぽだとい うことである。スピーカーから流れる、密接に結びついた音と言葉以外には、思想や時代背景やミュージシャンの意志、音楽的バックグラウンド等といったものが何も見えないのだ。勿論SYDにも FLOYDでのデビュー前は、当時のイギリスのミュージシャンとしてご多分に漏れずブルースやR&Bを志向していた時期があった様だが(実際、FLOYDの1st.ではそういったものが垣間見える)、このアルバムでは表面から根っこの部分を覗いてみても下敷きになっている様なものが何も見えない。マジで空っぽなのだ。優れてサイケデリックだが、手法としてはよくある様な(FLOYDの1st.も例外ではない)ブルースを根底にしたインプロヴィゼイションからくる昂揚感を基にしたサイケではなく、また、テープのループや逆回転といったスタジオテクニックから生み出されたサウンドでもない。当時彼が大量に服用していたLSDはSYDに何を見せたのか。結果、出来上がった音楽は誰にも真似の仕様がない巨大なブラックホールになってしまった。
FLOYDの1st.と“Madcap〜”の間には実際に要した期間とは無関係な次元に於い て遠い隔たりがある。その間にSYDは言葉と、ギターの弾き方以外は全て置いて きてしまったかの様な、かくも遠い隔たりである。

また、サウンドの面に関して、このアルバムはSYDの歌とギター以外はほとんど オーヴァーダブで録られた様だが、そんなことは全くどうでもいいかの様な気持ちいいバッキングがなされた曲もあり、特にソフトマシーンの3人が参加したテイクは白眉である。SYDの頭の中で鳴っていた音が果たしてこの音なのかどうかはSYD自身にしかわからないが、こんなに有機的(と言うのかなぁ?)なバンドサウンドはそう簡単には聴けないと思う。MALCOLM JONESのほったらかしプロデュースも素晴らしい。MALCOLMと分担してこのアルバムのプロデュースにあたっているDAVID GILMOURのプロデュースワークは(1st.とはアプローチが違うが)その後の2nd.アルバム“BARETT”に於いて実を結んだ。

このアルバムは底なしの井戸であり、出口のない入り口である。
2枚のソロアルバムをレコーディングした後のSYDは「医者になる」という言葉 を残してシーンから姿を消し、その後は母親と一緒に生活して、毎日TVを観て過ごしていたというが、最近になってその母親も亡くなってしまったらしい。
SYDの心痛はいかばかりか。彼の精神に平穏と安息の訪れんことを願わずにはい られない。誰にも邪魔されることなく、心穏やかな日々を送って欲しい。マジ で。

98.8.16.(オカモト)


(C)TONSEI RECORDS